顫える、という漢字の読み。


秋だから読書でもしようかと思って、図書館でハードカバーの本を借りた。そして、その本を読み進める。この小説は、東北のとある街での話し。この作家が東北生まれってことでそこが舞台か。子供の頃に親の事情で別れて暮らした姉弟が、大きくなってから再開し、結局はその2人が心中しちゃう悲しい物語だ。それは3日くらい、もう読み終えちゃった。ちょっと読むのが早過ぎるかなあ。だから内容というか、行間に潜む琴線があんまり心に響いてこないのかなあ。ずいぶん前に、ある友達がこの人の文章はきれいだから読むべし、と言っていたのを思い出して、その作家の書籍の中でこれを借りたんだけど。ところで私の場合、小説を読む度に、あれっ、こんな漢字の読み、あったっけ、と思うことが多い。60年ほど生きているわけだが、私にとってただでさえ読めない字が多すぎる。ま、小説というのは、しっかりとルビを振ってくれているので助かるが、この歳まであんまり書を読まなかった無知さいい加減さがこんなときに暴露される。脳みそに知識が蓄積されていないスカスカ状態。まるで脳みそ粗鬆症?なので、あれっ、あったっけ、という漢字を抜粋しながら読み進めていくことが多い。文中に登場する、あったっけという漢字は「樵」。きこり、と読む。山で木を切ることを生業にする人のことだ。忘れてしまったんだろうな。まさか、60年の人生で「樵」の字に出会ったことはないはずなんだが。次は、「櫟」。これは知っている。いちい。奈良県のJR桜井線で、帯解駅天理駅の間に櫟本(いちのもと)駅というのがある。くぬぎの木、またはアララギらしいけど確信はない。旺文社の国語辞典には「櫟」は、いちい、として載っていない。クヌギで「櫟」はあるんだけど。「杙」は、くい。なんで、こっちの「杭」ではなく、「杙」なんだ。「鉦」は、仏壇なんかにある、チーンと叩く、鉦。「罅」という字が出てきた。ま、ガラスなんかのヒビだろうけど。寒さで手足にできる「皸」ヒビもある。今年はできなかったが、一昨年は足にできてしまった。で、この「顫える」という漢字なんだよね。小説の文章は、からだがぶるぶる顫えてきた、となっていたから。私は「ふるえる」と素直に読んだのだけど、その十数ページ手前にルビを振ってあるのを見逃していた。「ふるえる」で正解だった。この「顫える」は、旺文社の国語辞典に載っていない。パソコンで「ふるえる」と入力しても「顫える」には変換しない。どうすれば、顫の字を見つけることができるのか。で、ネットで調べると、やっと顫動という字が見つかった。パソコンで「せんどう」と打つと、10の候補から顫動の熟語が見つかった。顫動はさっきの辞書にも載っている。やれやれ。この字でなけりゃ〜ならないって作家のこだわりは、漢字のひとつひとつに現れるんだねえ。こりゃ〜、面白い。また次も、この人の小説を探そう。