陸が、逝ってしまいました。


朝の早くの7時半頃、動物病院から妻の携帯に電話があった。妻はもうベッドから起き上がっていて階下に降りる準備をしていた。隣で寝ていた私は、携帯の着信音で目が覚め、妻と病院との会話に耳を集中する。妻の声がだんだんと沈んで弱くなった。最後に、8時半に伺います、と言って電話を切った。もう声の沈み方で私は分かっていた。そして妻は私に「陸が死んだ」と短く言った。「うん」。そうか、よく頑張ったんだ。家でか、病院でか、と最後の時のことを考えたのだが、痛みを和らげる処置を続けながら、いわば集中治療室のようなケージだからここまで頑張ることができたのだ。そう自分に言い聞かせた。陸を迎えに行く時刻が迫るまで、ただただぼわっとした時が流れた。頭の中には、これまでの陸との日々が駆けめぐる。妻は、これで良かったんだよね、と言い聞かせている。うん、うん、肯くばかりだ。病院に着いて中に入ると、1階の奥の部屋に通された。陸がいる。脚の点滴が外され、お尻もしっぽもすっきりきれいになった陸が寝ているのだ。しかし、ぴくりとも動かない。妻は泣きながら陸に駆け寄った。私はそっと陸のカラダに触れた。暖かい。まるで、生きているように暖かいのだが、もう動かない。脚の関節も柔らかい。まだ、死後硬直は始まっていない。

先生から話しを聞くと、時間は午前5時頃だったらしい。そして、もう遅いのだけど、検査の数値では、急性膵炎を示していて、これが死因になったということだった。私はかなり驚いた。膵臓?2年前には脾臓を摘出した。年末には、肝臓に腫瘍ありと。2日前のエコーでは、さらに腎臓と副腎にも大きな腫瘍があった。つまりはほぼ多臓器不全状態だったのだろう。陸のぽっこりお腹には腫瘍に加え、炎症などが巣くっていたんだなあ。痛かっただろうな。でも病院だからこそ、痛みは緩和されていたのだろう。そんな思いが頭を巡るが、陸は寝ているのだ。まだまだ暖かい。そして病院の方々に、眠っている陸を車に乗せていただいた。見送られて、病院を出た。何も考えられずに車を走らせていると妻が「このままで、陸のいつもの散歩コースを走ってやって」と言った。はい、はい。自宅を通り過ぎて、短い陸の散歩道をゆっくりゆっくり走った。何人かのお知り合いワンちゃんの散歩中に出会った。ある人は触ってくれた。「まだ暖かいね」。ある人は、「かわいそうに」。愛犬を抱っこして、陸のお見送りをしてくれた人もいた。みんな、ありがとう。陸もきっと、みんなにさようならをしていることだろう。私たちは我が家に戻った。猫の殿に最後のお別れをさせた。会わせると殿の様子が変だ。昨日あたりから殿はいつもと違った。何かいつもと違うものをしっかりと感じているらしい。そして、ここでも動かない陸に対して、殿はかなり不安な様子を見せた。動物同士の思いは、相変わらず私たち人間には分からないものだ。ちょっと早いけど、私たちは火葬を予約した動物霊園に出発することにした。

霊園でのあれやこれやが終わり、陸は骨になって私たちと一緒に帰ってきた。これで陸のすべてが終わりました。市の飼い犬の手続きが残っているくらいか。これからは陸の供養があるのみ。ワンチの骨壺の横に、陸の骨壺を置いた。霊園で陸の骨壺を選んだときは小さいかなと思ったが、家でワンチの骨壺と並べてみるとちょうどいい比率だ。今頃は、天国で二人仲良く遊んでいるに違いない。妻は帰りがけに陸のための花を買った。「おやつの方がいいんじゃない」、と私が言うと、「もう仏さんになっちゃったし」と妻は返した。陸のおやつやご飯は、またお友達のワンちゃんにお配りしなきゃと妻は考えている。うん、うん。骨壺の台の下には、陸がいつも居場所にしていた毛布がある。もう陸はいないがそのままにしている。その下に敷かれている絨緞も陸の抜け毛で真っ白だ。廊下には陸の抜け毛がふわふわと転がっている。まだ掃除するのは早いかも。陸は15歳だった。シェパードとしては超長生きだった。そうだったなあ。そんなに生きてくれたんだ。その分腫瘍が大きくなったんだけど。さて、陸の供養は陸のことを思い出し振り返ることだと私は考えている。このように陸との思い出をブログにすることも含めて。そんなわけで、時々は陸のことを振り返らせてくださいね。また廊下を歩くと、陸の抜け毛がふわふわと私のあとに舞う。りくう。そこにいるのかい?