疲れた、を連発している妻。


岡山に帰っている妻とは主にメールでやりとりしています。で、その日の最後のメールに必ず、疲れた、という一言が添えられている。なるほどねえ、というか、やっぱりねえ。同情してもねえ。こればっかりは親子だからね。とって代わることのできない辛さというか、しんどさというか、難しさが二人の今まで長くのびた距離の間にプカプカと浮いているのでしょう。妻の母親が手術で、その娘の妻が付き添って、それだけのことですが、それぞれにはそれぞれの事情や思いがあって、他の人では決して推し量れない、見えないものがあるんですね。私はプカプカ浮いているものを見たいとも思わないけど。ま、簡単にいえば、久しぶりに自分の娘が直ぐそばにずーっといるから、距離というかその溜まり溜まった分だけを娘に対して我が儘、あれしてこれして、食べさせて、あーだこーだ、となって出ちゃったということです。娘である妻にとっては、それはたまったものじゃなくって、明後日の月曜日には帰ってくるという。歯も痛み出したらしい。そうとうストレスがたまっているんだ。もうちょっとの辛抱。辛抱のためにがんばれというのはやっぱり変だし、この場合は、くじけないで、というのもおかしいし、耐えてくれ、しかないね。そう考えると、がんばれって言葉は無責任かもしれない。親子ってそうなんだね。私と父だって、やっぱりね。そんなことを乗り越えて人生も深みを増すといいんだけど。