小林秀雄を、読んでいる。


先週、奈良市立中央図書館に行った折に、小林秀雄の本を借りてみた。小林秀雄なんて長い間、読んでいない。だって小説でもないし、ちょっと難解な随筆だから、全く手を出すこともなかった。何で借りてみようという気になったかというと、大学入試のセンター試験、その国語の問題として、小林秀雄の短編、「鐔」から出題されていたからですよ。図書館に行くと、なんとその本はあった。だから、借りたのだが。で、今年のセンター試験の国語は、例年より平均点が下がったそうだ。難解な文章の小林秀雄が出題されたからだという。私も受験生だった頃、小林秀雄をたぶん読んだと思う。とっくに忘れている。それは、さっぱり頭に入らなかったからだ。当時の私は理科系頭で、国語や英語は苦手科目だった。だから、小林秀雄に手をつけても理解できない。それだったら、好きな数学、物理、化学を伸ばせばいいじゃないかと、結局は国語などあきらめてしまった。しかし人間、歳を重ねれば国語力がそれなりにつくものだ。というよりも、友人は、私があまりにも本を読まなかったことを指摘するが。もういまさら遅いし、遠い昔のことだ。で、遠い遠い記憶を手繰り寄せるように読んでいる。少しはわかる。歳の功だ。ところで、小林秀雄は奈良にいたことがあるらしい。詳しくはわからないが、昭和4年から13年まで志賀直哉が高畑に住んでいたときに志賀邸へ出入りしていたらしい。で、また、私がもう一冊借りている本が、入江泰吉自伝だ。入江さんが戦後の奈良で仏像の写真を撮り始めてから、東大寺の住職になっている幼友達、上司海雲と交友が始まったらしい。この住職がいる観音院に、志賀直哉會津八一小林秀雄広津和郎亀井勝一郎吉井勇棟方志功などが訪れ、芸術サロンのようになっていたと入江さんは記している。一旦奈良を離れた志賀直哉も戦後は度々、奈良を訪れていたんですねえ。その頃の奈良はもっと魅力があったのかなあ。奈良の高校生は、志賀直哉小林秀雄亀井勝一郎とかは完璧なのかもしれないねえ。大学受験も今が決戦。失敗すれば、来年があるさ。