隣家の安否がわかる、田舎の家並み。


妻のお母さんは、岡山の田舎でひとり暮らしをしている。もう80代だが食事や洗濯など身の回りのことは、ひとりでされている。そのお母さんから、妻宛に葉書が届いた。一足早い敬老の日プレゼントを妻が贈った、その御礼と近隣に起こる出来事が書き綴られていたという。出来事というのは、次々とご近所で亡くなっていく寂しさを綴った内容だった。妻は故郷に思いを巡らし、その近所に暮らしていたお年寄りの方々を頭の中で確かめている。しかし、この遠く離れた奈良では、いくら心配したとて、その思いは届かない。私は妻に、お母さんの安否はどうやって確かめているの、と聞いてみた。すると妻は、隣の人が、いざというときは教えてくれるから、と言う。つまり、こういうことだそうな。お母さんの家と、お隣さんの家は、一戸建てながら、古い昔の家並みで、家と家の壁が数十センチしか離れていなくって、家の中で歩いたり移動したり、ドアや戸を閉める音も注意していると隣家に聞こえるのだという。まあ、お年寄りだし、そんなに大きな音をさせることもないけど、様子がわかるということだ。逆に何の気配も音もないならば、声を掛けたり様子を見に行く、ということだ。家電で、電気ポットのお湯が沸いているかを、遠く離れた場所に送信して、安否が分かるというのもあるが、直に様子が分かるというのは一番の安心材料ですね。お年寄りが多いからこそ助け合っているのが、やはり田舎の良さなんだろうね。私が住むこの奈良は、田舎ほど密に支え合っていないけど、大都会のような無関心の冷たさはなくって、ちょうどいいお湯加減かもしれない。