母が亡くなって、2年が過ぎた。


2年前のこの日、母は88歳で亡くなった。つまり今日は、本来なら三回忌なのだが、父の意向で私たち3人でひっそりと墓参り、ということになった。2年前の、四十九日の法要で、20数人の親戚縁者を集めて会食をしたのだが、あまりにも母の話題が出なくて寂しい思いをした父だった。だから、いつもの月命日と同じく私たちだけの墓参りだ。もう、あれから2年が経つのですね、早いものです。それほど速く、3年、5年、10年、20年と、時間はますます加速度を上げて進むことでしょう。

去年のこの日のブログには、母が病院でどのような治療を受けながら亡くなったかを書いた。今日は、母の何を書こうかな。そういえば、子どもの頃から、あんまり母に叱られた記憶がない。まあ、何でもそこそこ要領よくやる方だったし、成績も別段悪くなかったから。だから、母は私を叱る理由がなかったと思われる。その分、小学校や中学校の先生にはよく叱られたなあ。中学校ではビンタや拳骨をくらうのは当たり前だったから。で、その叱られる理由の私の態度が、母親の耳に入る。あんたは、勉強を舐めている。天狗になっている。それでも、決して叱らなかった。呆れていたんだろうな。

で、もって、高校に通うようになって、ますます叱らず、口を挟むこともなかったと思う。予備校や大学に通っていた頃は、むしろ私が母に当たり散らしたことがあったと思う。難しい思春期だったのだろう、と自分で言い訳。母に辛く当たったのはほんの1回だったはず。ごめんな〜、すぐにあんじょうするから。なんかのウエアの綻びを怒ったのだと思う。済まなさそうな、悲しそうな母の表情を覚えている。それ以来、私は母に対して無理難題や無茶な頼み事はしなくなった。人間どこかで我が儘な部分が出てくる。いかに早くそれに気づいて、自己修正をするかですよね。相手の立場が弱いと、我が出てくる。父は言う。お母ちゃんは、文句ひとつ言わずに一緒に付いてきてくれた。母だって、どこかで誰かに文句は言っていたのですよ。それで、良かったのだと思う。


なんで、そうなるの?24歳での死亡。
なんで、そうなるの、というメカニズムが分かりにくい事象というか、事件が最近多くなりましたね。ケニアワンジル選手が2階のベランダから落ちて死亡。なんで、そうなるの?と頭をひねってしまう事件ですよね。ワンジル選手は、日本の高校に留学して、段々と実力をつけ、社会人はトヨタに属して、21歳で迎えた北京オリンピックのマラソンで堂々の金メダル。母国でお金も名誉も手にしたのです。さらに奥さんと子どもも。でも、日本でマラソンの練習はしても、大人としての人間性は磨けなかったのか。ワンジル選手の結婚が早すぎたのでしょうか。女性のことで、奥さんと口論になった、とも書いてありますから。走力は磨けても、人間性を磨けなかったワンジル選手。まだ24歳でした。ご冥福をお祈りいたします。

10日くらい前に、24歳の女性タレントが自殺しました。若いのに、かわいいのに、どうして自殺なんかしたのでしょうか。10人兄弟の末っ子だったという。そのたくましい環境に、何かがあったのでしょうか。ひょっとして、東日本大震災が影響したのかなあ。12年前の台湾地震の後、女性の自殺率が増加したとか。女性ならでは底知れぬ不安や悩みがあるのでしょうね。でも、死んだら明日はもう来ない。なんで、そうなるの?です。24歳というのは、結構難しい年齢かもしれませんね。

24歳と言えば、丁度干支が二回りです。高校を出て、就職しているのなら、5年経過で、仕事に磨きがかかっていることでしょう。大学を出てからなら、社会人として1年か2年が過ぎた頃かな。ようやく社会に馴染んで、これからという年齢なんですね。長いものに巻かれたり、あるいは反発したり。大卒は就職した3分の1くらいが、3年以内に辞めていくという。だから、この時期を乗り越えれば、社会人としての自覚が芽ばえるのですね、24歳は。そこから、個性を伸ばしてくださいね。