何も書くことがない日。


ここんところ、穏やかの日が続いて、明日は立春である。ま、このブログをアップする頃には、その日にはなっているだろう。で、今日は、何も書くことがない日。なんていいながら、書いてはいるが、何を書こうという、テーマもない。そういえば、ずーっと昔、私が小学生だった頃、よく宿題に作文、ってのがあった。私のうろ覚えの記憶なんだけど、クラスメートの誰かが何も書くことがありません。だから、作文は書けません、と先生に言ったように思う。すると先生は、どうして作文が書けないの、そのことをよ〜く考えて、なぜ作文を書けないのかを作文にすればいい、と言った。で、内容はとっくに忘れたんだけど、作文を書けないと言った子の、書けないことをテーマにした作文は、その子が読み上げたときに、結構面白かった記憶だけが残っている。なるほどね、発想って、そんなものだろうね。

ところで、私が時々、拝見しに行くブログに「畦道日記」というのがある。いわゆる、世の中のいろいろな動きに対する、政治や事件に関する感想を個人的に書いたブログである。これが、結構を当を得ていている。的を得ていているではありません。的を射ているなら、正しい。
で、そのブログはこちらです。
http://azemichi-nikki.cocolog-nifty.com/blog/
毎日ブログをアップして、なかなか鋭い批評をしている。かなり年配の人とは思うけど、しっかりした文章である。下手な新聞や雑誌よりよほど文章がうまいと思うよ。こんな人が、ネットのいろいろなところにいるんだろうな。だから、私はくだらない雑誌よりも、的確な記事を書いているブログのほうが、面白いと思いますよ。そういえば、この最近5年、週刊文春とか、新潮とか、買ったことがないよね。ネットの方が、鋭いよね。週刊誌のレベルが落ちたとは思わないけど、少しは落ちたかな、ネットの中に記事のうまい人が、結構いるんですよ。



大相撲に、手心があっても、いいじゃないか。
今、マスコミや、その読者や視聴者が、大相撲の八百長疑惑なんて騒いでいますが、なんでそんなことで騒ぐのだろうか。不思議でならない。私は八百長とは思っていません。八百長ではなく、手心です。大相撲が、正々堂々の真剣勝負、なんて真面目に思っている人がどれほどいますか。だから大相撲は、八百長ではなく、手心があっていいんです。いつも言われることですが、7勝7敗で千秋楽を迎える力士がいます。ほぼ、千秋楽で6割から7割の確率で勝ち越しているんですね。もっと高いかも。ま、力士の勝ち越そうという気迫もあるでしょうけど、勝ち越しの確率があまりにも高すぎるのですよ。

それこそ真剣勝負で、横綱と平幕力士が戦ったらどうなるでしょうか。横綱は8分の力で勝てばいいのです。そりゃ、ここぞという時はフルパワーでやるでしょうけど。とにかく、いろいろな手業を駆使して、美しく勝つ。これこそ、大相撲の醍醐味じゃないでしょうか。だから、たまには手心を加えた相撲があってもいいのです。貸したり、返してもらったり、そんなことがあってもいい。要は、観客が楽しく、面白く、大相撲を見ることができたら、いいのです。大相撲は、競技ではありません。神事です。興行なんですよ。

でも、大相撲は外国人だらけになりましたね。大相撲という空気を読めない外国人ばかりになったから、日本人力士は苦労をするのですね。だから、今まで慣習としてあった手心が、目立っちゃった。手心が、八百長などという言葉に変わっちゃった。ちょっとマスコミの騒ぎすぎですよ。だから、場所を盛り上げるために手心があってもいいんですよ。勝負が面白く、楽しければ、それで良いのです。まったく何を騒いで、全くあほくさ。マスコミの視聴率アップか、新聞や雑誌の販売促進に乗せられているだけじゃないか。八百長はいけません。手心でいいんです。