三条通りの道路拡幅事業は、大失敗だ。


今日、奈良に行って、いつもは奈良町の方を歩くのだけれど、久しぶりに三条通りを歩いてみようかと、妻と向かった。安らぎの道を過ぎてから、三条通りに入り、しばらく西に歩く。歩いているうちに、通りの雰囲気になにか空々しさを感じてきた。なにか商いから伝わってくる人の温かさのようなものが、全くない。そうだ、この区間は道路幅を広げて、建物を後退させている。もし、賑わいの街づくりのために、道路を広げたとすれば、それは逆効果だ。様々な街でも、道路を広げて賑わいを取り戻そうという試みはあった。しかしそれはことごとく失敗している。誰かが言っていた。道路を広げて、栄えた街はなし。

道路拡張で広げた通りを振り返ると、奈良らしさはみじんもない。拡がった通りの片側に立つと、よく解る。その通りの店の表情はしっかりとつかめるのだが、反対側の店の表情はうかがい知れない。距離が遠すぎるのだ。道を歩いてきても、反対側の通りにめぼしい店があっても、目に入らないかもしれない。いい店、と思っても、反対側までまた通りを横切るのは面倒と考えるのが常だろう。失敗しましたね。人をとどめる工夫をしなきゃならないのに、人をスイスイ歩かせることになっている。街路樹を植えるというが、これも視線を遮って、却って逆効果。

ま、今のところ、JR奈良駅側から、やすらぎの道で、拡張工事はストップしているから、いいようなものの。全部広げちゃったら、空虚な歩道が出来上がるだけ。そりゃ、土日や祭の時は混むだろうけど、平日は虚しさが募りますよ。拡張工事のおかげで、老舗の店もいっぱい撤退したんだろうな、残念なことだが。ありきたりの専門店が増えたって、少しも楽しくない。昔ながらの漬物屋さんとか、墨や筆を売っているお店があってこそ、奈良らしさなんだから。道路拡幅事業は、明かな失敗です。もし、あなたの街でも、せっかくいい感じの街並みがあるのに、それを削って道を広げたら、街が発展するよ、というのは大間違いですから。

で、まだ道路が拡がっていない、いつもの通りを歩いていると、なんだかホッとします。両側のどちらのお店の顔もしっかりと見えます。店の心遣いや温かさが、しっかりと伝わってきます。ところで、ある商店主は、通りがにぎやかになってくれるのを期待するしかない、として拡張工事の用地買収に応じたという。奈良の人って、自ら動くのではなく、動かされるままってのが多いのですね。奈良の商売は、大仏商売といわれています。ただじっと座っているだけで、何にもしなくても、観光客がやってくるからそれで良かったのです。今はそんなのじゃ、商売は成り立たちませんよね。販売促進の行動も必要です。ネット社会ですから、ホームページや、ブログのひとつも必要なんですね。奈良の商い人、どうか大仏商売から脱却してくださいね。あなたのお店で、奈良を賑わせてください。


市川海老蔵さんは、被害者か、愚行者なのか。
いや〜ネット社会は恐ろしいですね。海老蔵さんに関する様々な情報が飛び交っています。まず、海老蔵さんに暴行を行ったとされる男性は、元はサッカー選手で素実もかなり注目された人だったという事実。もちろん、この男性の本名はもちろん、写真や為人までがネットでは詳しく紹介されています。サッカーユニフォームを着た人物写真も見ました。優しい感じはしましたけど。

さて、海老蔵さんは、被害者なのか、海老蔵さん自身に問題があった愚行なのか。どうも、海老蔵さんにとって旗色が悪いような情勢ですね。32歳で歌舞伎を背負って立つ、今一番注目されている役者さんです。それだけに、プレッシャーも大きかったんでしょ。積もり積もったストレスも日々増加していったのかもしれません。しかし、もういい大人ですよ。いつまでも子どもじゃありません。

思い起こすと、去年の4月に六本木でスマップの草なぎさんが、裸で騒いで逮捕された事件がありましたね。ちょっと周りを不愉快にしたけど、誰にも危害をかけたわけではありません。今の彼は、すっかり反省して、元通り他のメンバーと活躍しています。海老蔵さんの場合は、どうだったのでしょうか。様々な人と関わって、様々な人を巻き込んでいますよね。海老蔵さんが、ことの原因をつくったのかもしれません。

で、ことの成り行きで、パンツを脱いで土下座をしたとか。それを当事者は写メールで撮ったとか。そんな写真もネットに出回っています。本物かどうかわかりませんが。まるで、今話題のウィキリークスものですね。ま、そんなわけで、伊藤園の「お〜い、お茶」を飲むとパンツを脱いで土下座をしたくなるのかもしれません。ヤマキの「めんつゆ」を使うと、誰かにからみたくなるのかもしれません。ピップエレキバンをカラダに貼ると、とことん酒が飲めて、ケンカをしたくなるのかもしれません。こわいですね。ま、私は、伊藤園も、ヤマキも、ピップも使っておりません。この年になって、愚行など起こしたくもないですから。