小さなもっこり、2本。


今年は生えないのかな〜と、庭の木の下を探したけれど、1本もキノコは生えてこなかった。と、思っていたら、オジギソウの鉢の中に小さなキノコが2本、にょっきりと生えている。1本は傘が開いて、もう1本はこれから開くのだろうか。食べられるキノコか、毒キノコか判りませんが、2センチくらいのキノコだから観賞用としておきましょう。そんなわけで、小さな秋の発見です。

キノコといえば、今はいつもスーパーではそれなりの低価格で買うことができます。エノキタケ、シメジ、エリンギ、シイタケなどなど。これってみんな温度管理されたハウスの中で育てられた、いわゆる菌床栽培なんですね。だから、本来のキノコ特有の香りがどんどん失われている。シイタケだって、原木栽培から、ほとんど菌床栽培に変わっている。

松茸って、まだ栽培はできていませんよね。近い将来、松茸が菌床栽培で、ボコボコと収穫できる技術が確立されたらどうなるんだろう。あの野趣に満ちた特有の香りは維持されるのだろうか。なんてね。そう、キノコって本来は森の中で育つのですよね。だから、秋になるとキノコ狩りが盛んになる。私が子どもの頃は、奈良の田舎、春日山のずーっと東側の里に行ったことがある。その森の中に、切られた木の丸太が何百本もきれいに並べられていた。それがシイタケの栽培用と解ったのは、数年後だった。

この春に、月ヶ瀬に行って、原木シイタケを買ってきた。食べると、なんだか菌床栽培のものと違う。香り、味わい。やはり、原木の方がおいしい。なんで、原木シイタケの方がおいしいのか。それは、原木シイタケが、森の中で育っているからですね。大きな木々が覆い被さって、シイタケの原木にはほんの少ししか光は届かない。でも、その周りは、土があって、植物が生えて、大きく伸びた木々の間に、森の香りがしっかりとあるんですね。ほら、私たちだって森林浴ってするでしょ。だから、森の中で育ったキノコは、特有の味も香りも秘めているんですね。そりゃ、ハウスの中の菌床栽培キノコとは、環境が違いすぎるわ。

ただただ物を作るだけに徹したハウスの中の菌床栽培キノコ。片や、森の香りをふんだんに吸いこんだキノコ。だから、菌床栽培のシイタケと、原木シイタケの違いが出たのですね。などと考えると、急に原木シイタケを食べたくなりました。庭のキノコを見て、そんなことを思った。


孫の運動会に行く祖父母。
先日のことです。妻のお友達が、孫の運動会に行くのだ、ということだった。なるほど。それはたのしみなことで、と考えて、ふと思った。幼稚園くらいの子どもの運動会に親が行くのは当然としても、祖父母が行くのって、どうなんだろう。親バカじゃなくって、親の親バカのような。祖父母バカじゃ、語呂が悪いなあ。

私が小学校の頃は、母親がお弁当を持って見に来てくれたことは覚えているが、父親は来たという記憶がない。だいたい父親は休日出勤が多かったからね。ましてや祖父母なんてこなかった。で、妻に聞く。子どもの運動会に、おじいさんやおばあさんが見に来たかと。いいや、そんなことはないと、妻は言う。でも、おばあさんは、こっそり見に来たという。そりゃ、そうだよね、孫は可愛いから。

で、妻のお友達の、お孫さんの運動会を想像する。お孫さんの両親。おじいちゃんやおばんちゃんが来てくれて、さぞや賑やかで楽しいことだろう。それはそれで、いいのだが。でも、そんなに賑やかに来てくれない園児は、どうなのだろうかと。たとえばお母さんだけとか。それこそ、おばあちゃんだけとか。親にもいろいろな事情があるからね。昼食時に、賑やかで楽しい家族はいいだろうけど。なんで、あそこは、おじいさんやおばあさんが来てくれているのに、うちはお母さんだけなの、とか。

子どもは敏感です。多感です。賑やかな運動会は楽しいでしょうけど、バランスを考えないと、子供たちがいじけてしまうこともあるのではないかと、ふと思った次第です。家族みんなから大切にされる子ども。当たり前なんだけど。片や、親から虐待を受ける子ども。最近、そんな陰湿な事件が多くなったから、お孫さんの運動会、考えてしまいます。比べてしまいます。