そういえば私は25年以上、飛行機に乗っていない。


25年前の私は、東京で働いていた。夏に入ると、休みの日は、車にボードを乗っけて、いつも千葉の館山湾に行っていた。大阪の友人が、お盆の間に東京に遊びに来たいと行った。じゃ〜、千葉へウインドサーフィンでもしに行くかい、と。で、友達が来たのは13日だった。で、前日に日航機の墜落事故があった。現れた友達の顔は青ざめていた。帰りは、航空機で羽田から大阪に帰る予定だったから。さらに、その友達曰く、大阪で通っているカルチャースクールの講師の先生が墜落機に同乗していたそうな。

次の日に、海に行くが、友達は気もそぞろだった。もう午前中に帰り支度をして千葉の館山を出て、東京駅で友人を降ろした。それ以降、その友人とは会っていない。今の私は、奈良に住んでいる。ちょっと高台に上がると、大和盆地の真ん中を、東から西に向かって航空機が侵入し、生駒山をかすめるようにして、伊丹空港へ着陸態勢をとっていく。そんな光景を見ていて、もしあの航空機が奈良上空から大阪に侵入した、その時に隔壁の事故が起こったなら、その惨事は航空機だけではすまないだろう。住宅密集地の上空を飛ぶのだから。

ま、今日も無事が幸いか。考えてみれば、私はなぜか25年以上航空機に乗っていない。別に理由もないが。飛行機に乗るほど、遠くへ行く機会がなかったから、だろう。あと私は高所恐怖症。そう、確実に覚えているのは、25年前は全然平気だった。会社はビルの9階で、身を乗り出してオフィスのガラス戸の外側を拭いたもの。青山通りを歩く真下の通行人や車を見下ろしながらね。結構、アクロバチックなこともやっていたのに。もう、今は全然ダメ。窓に近づくのも怖い。何が、私を高所恐怖症にしたのか、その辺が全然さっぱりわからない。だから、25年前の、この頃、以降なんだよね。ま、飛行機に乗ることもないだろうし、どちらかといえば避けるだろうな、そんな旅行を。


90歳以上も生存確認の調査をせよ。
90歳の父は、元気です。昨日も父は、電車で出掛けて、昼ご飯にどこかのレストランであんかけソバを食べた模様です。そして、お盆のお寺さんを迎えるに当たって、お供え物のくだものやお菓子をいっぱい買ってきました。そんな父が言っていました。「100歳以上の幽霊みたいな人が、いっぱいいるんやな。役所は、どうなっているんやろ。役所やから、ちゃんと仕事してへんねんやろう。ほんまに、税金ドロボウや」。まったくもって、父は元気で、日頃のニュースもしっかり見ていて、自分なりの考え方もしっかり持っています。ま、いささか頑固ですが、理不尽なことには正しく反論しています。

4万人以上と言われる、100歳以上の調査で、今の役所はおろおろしている。まったく普段から何をやってんだか。では、父のように90歳以上で100歳未満の方は、昨年10月現在で128万人いるのですよ。この時、父はまだ89歳でしたから、今は若干増えているのでしょう。

さて、地方自治体の方々。今度は、90歳以上の生存をきっちり確認しましょう。なんせ、128万人ですよ。日本の長寿統計が、確認もしない数値なら恥ずかしいことです。私の父は、90歳でしっかり生きています。長寿の人が、なんで長寿なのか、みんなは興味を抱かないのか、それが不思議。100歳の人には、100年の人生が。110歳には、110年の人生があるはず。どんな生き方をしたのか。どんな食べ物が好きなのか。どんな過ごし方をしてきたのか。ズバリ長寿の秘訣は。などと、聞きたいことは、いっぱいありますよね。医学的にも、興味あるデータがあられるはずです。ましてや、健康で頭も言葉もしっかりしていたら、その様々な経験に学ぶべきことは多いはずです。ま、頑固でしょうけど。

だから、役所のように110歳という数字で人を見るのではなく、110年生きた方はどんな人、と生き様を尊重するような形で、人と接すればいいんじゃないかな。ただ確認のため、だけで終わるから、役所仕事になってしまうのですよ。いっそ100歳以上の人は、専用のデータベースを作って、カルテのようにして、様々な情報を一元管理した方がいいんじゃないかな。で、その年齢を徐々に下げたらいいではないか。年金や介護保険の一元管理。役所の各部署でも情報の共有。これ以上の幽霊を増やさないためにも、年金受給不正を許さないためにも。そう思うんですけど。そして、さらには80歳の人もチェックですよ。東京の111歳の男性は、79歳の時にすでに亡くなっていましたから。