天使の台座。


今日はとっても暖かい日。庭のオキザリスが、いままでヒシッと花弁を閉じていたのに、この暖かさで、ふわ〜っと思いっきり花弁を広げている。花のひとつひとつに、眼には見えない春のエンジェルが座っているような。

まてよ、ひとつひとつに天使が座っていたら、さぞや賑やかだろうに。コーラスか、それともオーケストラか。そういうことならハーモニーを聞いてみたいものだが。まさか、会議?じゃ〜、テーマは?

「そろそろ、春にしても、いいと思うんだけど」
「まだまだ、早すぎるんじゃない」
「どうしてさ、立春は過ぎたしさ」
「早く春にしたら、困る人がいるよ」
「それは、だあれ」
「オザワさんという人」
「な〜んで」
「み〜んな、もうしばらく寝静まっていてほしいからさ」

な〜んて話し、するわけないでしょね。ま、天使がいたとしても、自動車が頻繁に通る道路沿いの住宅街にいるとは思えないし。シーンと静まりかえった雪深い里山の、ちらほらと民家の灯りが散らばっている。そんな場所に、天使は舞い降りるのでしょう。ましてや、都会のビル群になんかいやしません。

なんでって?不似合いだから。そんなわけで、小さな自然というか、草花を大切にしましょうね。天使を招くためにも。ところで、夕方にはオキザリスは、ヒシッと花弁を閉じていました。うまく閉じるものだなあ。


若者の感受性は劣化している。
私が言ったんじゃないですよ。脚本家の大御所、倉本聰さんがそう言っているのを、何かの印刷物を読んで知った次第。倉本聰さんは、富良野塾という演劇塾をやっていますよね。その塾生の演技指導で、初期の塾生たちに「涙が出るまで、悲しいことを思い出しなさい」と言うと、ほとんどの人は数分で涙を流したと。ところが、最近の塾生は、半数くらいしか涙を流せなかったという。

倉本さんは、それを踏まえて、最近の若者の感受性は劣化している、と言っていた。近年は、それがさらに顕著だという。もっと自分以外の人に関心を抱き、感情移入し想像してほしい。とも語っていたという。

なるほどね。今の若者の感受性を鈍くしているのは、何だろう。ネットに繋がるパソコン。ネットも利用できる携帯電話。ネットの普及が大きいのですね。つまり実感しない画面だけの情報に触れている機会が多い。バーチャルだけでものを理解しているからなのかも。

50代のハゲオヤジの私だってそうです。携帯電話やインターネットがなければ暮らしが成り立たない。ブログだってこうして書いているわけですから。倉本さんは大自然のど真ん中で、生活を始め、塾生たちを育てた。確かに、大自然に放り出された人間は、自ずから大きくなると言う。自然は感性をも磨くんですね。

その倉本さんが、富良野塾を閉めると発表した。これも、若者の感受性の劣化が背景にあるようだ。人は様々な文明によって進化してきた。しかし人間としての感覚で退化するものもあるだろうな。感受性だけでなく、現代では共感力も劣化しているという。身の回りの便利さが拡がるにつれて、人間本来の優しさが失われているのかもしれない。自分の足だけで歩くことから、始めてみましょうか。