高齢者に非情な、郵政民営化の大失敗。

やっと郵政民営化が定着したように思える。郵便局の業務は日々滞りなく、行われてはいる。今年の年賀状も、ちゃんと届いたし。でもね、最近、街を歩いていて気が付くことがある。

それは、平日はもちろんだが、日曜日も祭日も、郵便配達のバイクがひっきりなしに走っていることだ。確かに、私の家にも、クロネコヤマトメール便が届くこともある。ライバルの存在で、親書の配達は郵便局の特権ではなくなった。でもね、郵便配達くらい、日曜日は休んでいいのではないかと思うのだが。

郵政民営化が始まって、地方の簡易郵便局が、かなり閉局したという。採算性の合わない過疎地のへんぴな郵便局はどんどん閉鎖されたのだ。そして過疎地に住む人々が不便を被っている。とある坂のある集落では、数百メートルの坂下に、まとめて郵便箱を設置しなければならなかったという。マンションで言うならば、1階にある集合郵便箱だ。その集落は、ほとんどがお年寄りで、郵便物を取りに行くためには杖をつきながら数百メートルの道のりを往復しなければならない。簡単に言うならば、サービスの低下だ。

民営化以前なら、配達員は郵便物がなくってもお年寄りの安否確認というのをやっていた。そういうサービスが、どんどん切り捨てられていると聞く。ああ、無情。としか思えない。

だから、今からでも遅くないよ。郵政民営化以前の、人にやさしい郵便局に戻そうよ。お馬鹿な小泉純一郎氏の演説に乗せられて、日本国民は4年前の自民党大躍進に手を貸した。そして郵政民営化は実現したが、窓口の手続きで融通の利かないこと甚だしい。おまけに局員には賀状販売のノルマもあると聞く。売上げや利便性を追求するばかりで、客のことを全く考えてないのでは。もう、郵政民営化の改悪を実行した自民党は大敗しました。だから、以前の郵便局にシステムも心も戻そうよ。早くね。



正月に届いた、喪中ハガキの返信。

我が家の正月の郵便箱は、寂しい限りでした。喪中ハガキを出さなかった方からの数枚の年賀状。母の死を知って驚いたようにハガキをくれた方。その中に、一枚の普通はがきがありました。

この方は、母の甥っ子に当たる方で、私にとっては従兄弟です。もちろん母の葬儀、四十九日にも来ていただいた方です。文面は、こうです。

御喪中のお葉書拝受致しました。
お寂しいお正月をお迎えのことと存じます。
おすこやかにお過ごしくださいまして
何卒よいお年をお迎えください。

すべて、手書きです。文面と字面にほっこりきて、微妙にうれしさと寂しさが交錯します。なにより、そんなハガキによるお気遣いがありがたい。

さて、年賀状をいただいた方には、寒中見舞いのハガキを出さなくてはね。ハガキに妻のデコパージュの花をあしらってみましょうか。