初冬の夕暮れ、土手の道。


夕暮れ時に陸と散歩をしております。いつものことですが、今日は場所が違う。秋篠川を挟んで、東側はサイクリングロードで、西側はアスファルト舗装の土手の道。

サイクリングロードの方で、色づいた葉っぱもほとんどが落葉して、下は赤と黄色で斑の絨緞のよう。そこをクンクン、ゴソガソと嗅ぎ廻る陸君です。西の方を見やれば、薬師寺の塔が見える。西塔はいつものまんま輝いているのだが、東塔は相輪を残して屋根から下がすっぽりと覆われている。修復工事に入っているらしい。

でもそんなことは、りっちゃんには関係ないからね。ずーっと 土手の道を北に北に歩く。道の向こうの家から、大型犬の吠える声。陸はその声が気になる様子。わかっているんだな。きっとあれは、シェパードのリンちゃん。ねっ、2週間くらい前に、仲良しになったものね。でもリンちゃんは、お散歩はまだかもね。陸、いこっ。

さらに歩いて唐招提寺の駐車場が見えてきた。幾分、大型の観光バスは少なくなりました。もう12月だから。日曜日ながら、人通りの少ない唐招提寺の門前を通る。もう拝観時間は終わりでしょうか、出てくる人も少ない。

今度は道を南に、薬師寺の方へ。日曜日の夕方は、どの店もひっそりと。人通りも、車も少ないけれど、それでも危ないね車道は。で陸は、たんぼ道に入る。あんまり堂々と私たちが歩くものだから、ひとりの観光客が歩けるのかと付いてきた。先が畦道だとわかると、その人は引き返した。陸の気まぐれですから、ごめんなさい。

また再び土手の道に戻る。しばらく歩くと、ご〜〜〜ん、とお寺の鐘が鳴る。ちょっと軽めの響き。薬師寺の鐘って、そんな音だったんですね。時計を見ると午後5時。なるほどね。さて、りっちゃん帰ろうか。この道も今日が最後。もうすぐ私のお父さんが退院するから、もう来ることもないんだよ。でも、歩きたかったら、また来ようか。



キレる子供は、社会の産物。
児童生徒の学校内における暴力行為が増え続けている。朝日新聞の社説では、大人がもっと子供に目を向けるべきとしている。ま、それは尤ものなのだが。なぜキレる子供が、クローズアップされるようになったのか。これは、家庭の崩壊に影響されることが多いと聞く。

つまり、キレる子供は家庭環境の辛さを背負っているからだという。両親が共働きで、子供と接することが少ない。親の都合で、片親だけの家庭もある。この不況で、両親が必ずしも経済的に充実していないこともあるだろう。

そして、家庭でのストレスを抱えたままで学校に来ることになるのだ。しかし、家庭でのストレスを学校に持ち込まれても、教育者は困るだけだ。いくら学校で親身に対応しても、家に帰ればストレスに満ちた家庭環境という現実に引き戻されてしまう。

根本には、家庭環境という最大の問題がある。ろくろく子供の相手もしない面倒も見ない親が、学校に子供を送り出して、キレるのは学校の責任とほざく親がいる。キレる子供の、その親が原因であることが多い。

じゃ〜どうすればいいか。親を教育することですね。さらにいえば、親を窮状に落とし入れた社会が原因なのかも。子供の虐待が増えている。ちなみに50代の私ですが、子供の頃には兄弟がいて、両親がいて、さらに祖父母がいた。だから、私と関わる人が多かったんですね。

子供は関わりを持つ人から、様々なことを学びます。もし、子供が閉ざされた空間で、関わり合いを持つ人が少なければ、そこで社会性を失うことになるでしょう。そういった環境を作り出した親にも責任があるのです。しかし親の私たちは精一杯やっている。私たちの家庭には関わらないでほしい。そういうことから、子供たちの中に、ストレスが生まれるんですね。子供より、むしろ親の問題です。そういった親を生み出した社会にも責任があるのかも。

そしてそういう社会を作り出したのは、私たち日本人なんですね。経済的な困窮を作り出したのも私たち。日本の不景気を作ったのも、私たち日本人なんですよ。食料自給率が40%だと騒いでいますが、私たちが手にしている衣類や日用品、家電などもほとんどが海外品です。メイドインジャパンは、どこに行ったんでしょうね。だから日本の不景気は続く。そして子供はキレる。どうなる、日本?