この花、きれいやな。


1年とちょっと前のことになるだろうか。父は外出する用事があるので、3〜4時間ほど母をあずかってほしい、ということで、母を車で連れてきた。まだまだ、ゆっくりではあるが、しっかり歩ける母を車から降ろして、父は用事のために帰っていった。

門扉から玄関までの段差を妻が支えながら、しずしずと母が歩く。その時に母は、この花、きれいやな、と手を差し出した。玄関廻りには、妻が丹誠を込めて育てている草花が、プランターや植木鉢にいっぱいある。そのひとつを手に取り、母はにっこりと微笑んだのだ。

母は、父と一緒にマンション暮らしを始めた。その一年前に、50数年暮らした一戸建ての古家を処分して引っ越したのだ。もちろん、私はその家で育ち、大きくなった。私の姉や妹も同様だ。その家にも、中庭はあった。しかし私が覚えている範囲の庭は、だんだんとつるっぱげになっていたような。

たとえば、庭に梅の木があった。時折、梅の実を付けていたのを覚えている。しかし、いつの間にか枝は切り払われ、幹だけになり、竿竹を引っかけるだけに使われていたように思う。庭にも、最初は草花があったが、最後の方はなんにもなかったような。

今年の初夏、母が入院していたとき言ったことがある。私がなんぼ植えても、この人がぜんぶひっこぬくんや。つまり母が何かを植えても、きれい主義の父は雑草だと思って、すべてを抜いてしまったんだろう。だから、庭は雑草すらないつるっぱげ状態だったんだな。

本当は、母は整然としたマンションではなく、庭もある家に住みたかったんだろうと、その時思った。かつてあった家から数分の距離で私たちは、家を借りて暮らしている。玄関や庭には、妻が育てている草花が、あるものは花をつけ、あるものはじっと堪え忍び、花芽の時期を待っている。きっと今、母はそんな様子を見ているだろうな。「まだ、咲かへんか。そのうち咲くで〜。咲いたら、きれいやで〜」などと。今日は、母が亡くなって5カ月目の命日。父が最近、涙ぐむことが多くなった。元気を出してほしいのだが。