妻と、のんびり散歩。


今日は陸にお留守番をしてもらって、妻と二人だけでご近所に散歩。りっちゃんごめんね。いつもの散歩道。陸を連れていないと、歩みが快調。住宅街を抜けて、池の畔に出る。

白鷺、鴛鴦、カラスなどが、小さな岸辺に仲良く日向ぼっこ。こうも小さい場所だと、派閥争いがないわけで、いいことです。稲刈りが終わった田んぼの上の土手道に、ススキがなびく。

ちょっと歩くと、鈴なりの柑橘。妻となんだろうと言いながら歩いていると、世話している人が。聞いてみると温州ミカンだった。奈良でもミカンを作っている人がいるんですね。

いつもは陸と一緒だから入れないお寺の境内に入ります。庭の一角は苔に覆われている。気になったんだけど、苔の上にも落葉は落ちる。どうやって掃除するんだろう。足を踏み入れるわけにもいかないし。放って置いて風が吹き飛ばしてくれるのを待つ。まさかね。クレーンで宙ぶらりんになって、葉っぱを一枚ずつ拾い上げる。なんてね。お寺の壁に落書きが。ここにもあるんですね。日本人は愚かな人が多い。まったく〜。

蔵が建っている古い作りの家。その一部分を手直しした家。まったく普通の家。混在して道路も狭く統一性はないんだけど、古い民家はいいですね。そういう民家ばかりなら街並みも味わい深いものになっただろうに。庭になっている柿の木がよく似合いますって。また、近隣散歩、行きましょうか。りっちゃん、お留守番、ごくろうさま。




加藤和彦さん、鬱状態だったんだ。
加藤和彦さんの自殺はびっくりしました。なんで、なんで、死のうと思ったのか。それだけが疑問だったんですが、鬱の状態にあったんですね。思うような仕事ができないと悩んでいたそうです。若い頃とは違って、加藤さんも62歳になっていたんだなあ。

加藤さんと言えば、あの素晴らしい愛をもう一度、は誰でも知っている名曲。加藤さんは、常にもう一度に追いかけられていたのかもしれない。天才の加藤さんと、凡人の私とは比べようもないが、私は昨日のブログで書いたように、ど忘れが多くなった50代後半のオヤジ。あの素晴らしかった若い頃など、とっくのとうに忘れている。

天才には天才の悩みもあるだろうけど、自分自身をしっかりと見つめ直す時も必要かもしれない。凡人の私は、もう一度と、躍起になって何か追い求めることをしなくなった。いまさら20代の時のように、全力疾走なんてできないからね。

50代なら、それらしい頑張り方。おっと、頑張ってはいけないのだ。頑張ると心の筋肉が切れてしまう。むしろ付き合い方、というべきか。かつて、鬱状態の人に、頑張れよと声を掛けたがために、自殺してしまったという話も聞く。鬱の人に、頑張れよは禁句です。

50代、60代は鬱になる人が多いんです。よく鬱病心の風邪と、軽くいう人がいるけど、それは全く違う。長年積み重なったものが、突然揺れ出して噴出してしまう、目に見えない噴火のようなものだと思う。だから、少しずつガス抜きが必要。もう一度と、あの時の素晴らしさを追い求めるのではなく、ほんの身近な手の届く範囲で、ゆっくりと何事にも付き合っていきたいものだ。素晴らしかった加藤和彦さんのご冥福をお祈りいたします。