死刑制度の存廃よりも、凶悪犯罪の時効撤廃を望む。

死刑を撤廃して凶悪犯罪は減少するだろうか。決してそんなことは考えられない。日本で少々荒い犯罪をしても死刑にならないから、という犯罪者もいる。被害者の方はどうなんだろう。もう死人に口なしなのである。

1995年の7月に起こった八王子スーパー店員射殺事件は、来年で15年目を迎え、犯罪に対して時効となる。それで犯人は何も罪に問われない。ま、もし時効後見つかったとして民事が残ってはいるが。殺されたアルバイトの16歳、17歳の女性は、いま生きていれば30歳と31歳。幸せな結婚もして小さなお子さん二人くらいと手を繋いでいるかもしれない。殺人犯はそんな未来を、青春が謳歌できる人生をむごたらしく消し去った。

仮に店員射殺事件の犯人が逮捕されたとしよう。当然、残忍で非情な犯罪は当然、死刑に値するはずだ。死刑も執行せずに刑務所で死ぬまで収監し続けるというのか。ま、担当者は仮の話しには答えられない、と言うでしょうね。

時効の撤廃になぜ躊躇することがあるのか。それが不思議だ。犯罪を減らすためにどうすればいいのか。それはそれ相当の刑罰を与えること。それ以前に、時効の撤廃を強く望む。自首もしないで、逃げおおす犯罪人を決して許してなるものか。

治安対策も万全にされたい。東京では、要所要所に警察官が配備されている。私が以前住んだ杉並区では自転車で住宅街を見回りする警官をしょっちゅう見かけたものだ。大分では見回りの警官など全く見なかった。奈良では、たま〜にバイクの警官を見るかな。日々の警戒は、警官でなくても私たちでも怠ってなならない。防犯カメラの設置も要所要所に望みたい。八王子事件でも、防犯カメラが普及していれば、何らかの手がかりが得られたはず。そんな犯罪も多いと思う。あやしい輩を、みんなの目で監視しないと大変な目にあうぞ。

千葉景子法務大臣が死刑執行に慎重らしくて、人権救済機関の設置に意欲を見せている。つまりは死刑執行に反対というわけだ。これでは、殺された人間の無念を晴らすことはできない。死人は、天から地を見てどう思うだろう。


噛めば噛むほどおいしい、米粉のパン。

旅から帰った妻のおみやげ、第一弾は米粉のパンだった。あの懐かしいシマシマの紙袋に入っていた。昔、市場なんかでカレーパンなどを買うとほとんどがこの紙袋に入っていたものだ。こういう袋に入っているのが、まずうれしい。

米粉のパンを私はまだ食べたことがない。よくテレビなんかで話題にはなっているが、まだそれほど根付いてはいないのかも。さっそく、左側のバゲットをスライスしたパンを食べてみる。

口当たりはほとんど変わらない。食べ千切ったときに少し力がいるが、小麦のパンほどの堅さはない。食べていると、もちもちっとした感触。じんわりと甘みが拡がってくる。まさにご飯を食べたときと同じ甘みの拡がり方だ。このパンは、米粉50%、小麦25%、米25%の割合のパン生地を焼き上げてある。パンをよく見ると米の粒がところどころに見える。なるほど、これがおいしさの秘密か。

もう一種類のまあるいパンを食べる。こちらは米粉が100%。まず香ばしさがあって、もっちもち。噛めば噛むほど甘みが拡がる。小麦のパンと食感は違うが、米粉のパンはしっかりとした食べ応えがある。パンにソースが合うというが、米粉のパンは醤油が合うかもしれない。

ところで米粉パンの原料、米粉は大分でパン専用として米として育てられているとか。その米粉を使って妻の大分のお友達が、おみやげとして焼き上げてくれたパンというわけです。おいしいよ〜、ありがとうございます。米粉パンを焼くときのイースト菌使用量は、小麦パンを焼くときに使う量の3分の1でいいらしい。妻は興味を持ったみたい。でもパン用の米粉って売っているのかな。米粉パンは新鮮な感動だった。また、食べてみたいおいしさなのだ。