奈良では、風向きが見えない。

大分に住んでいるとき、風向きがはっきりと目に見えた。どういうことかと言うと、その当時に私たちが住んでいた2キロ北側が工場地帯で、大きな煙突から煙が上っていたから、その向きで風の方向が分かった。不気味だったが、炎を吹き出す煙突もあった。

北風の多い冬場は、工場の煙は私たちの住まいの方にも影響を及ぼす。北側の窓が、ススだらけになったものだった。工場のさらに近くに暮らす人は、もっと大変で、窓なんかは開けられない。洗濯物は外に干せない、と嘆いていた。

ところがその工場の社宅は、排煙の影響が少ないもっと距離の離れた南の高台なんかに建っている。なるほど社員の健康を考えているのだ。ずるい、と思うが。ま、私たちが住んだ小池原は、冬には北側の窓が煤けたけど。南風が多くなる、春から夏、秋にかけては何の影響もなかった。煤けるのは困るけど、煙突の煙は、日本の鉱工業生産の活力を象徴しているから。

奈良でも、当たり前だが空の雲は流れている。地上の風は、どっちからどっちへ流れているんのか。それが家の中からは見えないのだ。工場のでかい煙突がない。見えない。どこかにはあるのだろうけど。

奈良の北部は住宅地帯。煙を吐き出す工場の煙突など、あるわけもない。京都府の境に、清掃工場はあるのだが、遙か遠くなので見えるはずもない。散歩に出て、高台を歩くときにその煙は見える。工場の煙が見えない環境は、心地良い環境でもあるわけだ。奈良暮らしも、なかなかいいね。