平群まで、妻がひとりで買い出しに。


いつもは二人で野菜の買い出し。もちろん行き先は、大和路へぐり道の駅・くまがしステーションです。そのうちに一人で行くから、と妻は言うが、方向オンチで、今、北はどっちだ、と聞いても、結構見当外れの方向を指す。奈良って山の位置を見えれば、だいたい位置はわかるのにね。

で今回、はじめて妻はひとりで平群まで行ってきました。結果、行くまで道を間違えたのは2回だけ、だったよう。阪奈道路入ったはいいが、大阪方面に向かうべきを、反対の奈良方面に走ったそうな。さらに、生駒で信号を1つ分早く曲がったそうな。

やはり人に乗っけてもらうのと、自分で運転するのと、道の覚え方が違うんですね。妻は緊張して走っていたようで、足がとっても冷たかったと。着くなりすぐにトイレに駆け込んだとか。なるほど。ま、だんだんと道を覚えたらいいのだから。

道の駅は、お盆明けの月曜日だったので、野菜品揃えはいつもより少なかったと。でも、なんやかやと買ってきました。その中に、白なすがある。種が少なく、焼き茄子に最適らしい。

で、さっそく焼き茄子が食卓に登場しました。白なすは水分が多いんですね。おろし生姜をのっけて、かつお節を掛けて、醤油を多めに垂らしていただきます。いつもの茄子と違いがわからないが、いつもと同じにおいしい。夏ならでは、旬の料理法です。暑いときは、冷やっこいものが、やっぱりおいしい。



明日判決、福島県大野病院事件。なんで福島県警は、医師を逮捕・起訴したのだろうか。

先日、ある友人と、久しぶりに飲んだ。その時に、たまたま、どうして日本の産婦人科医は少なくなったのか、という話しになった。彼曰く、警察の裁判訴訟を恐れて産婦人科医になる医師が急激に減少したのだと言う。すると偶然か、8月17日の朝日新聞の社会面に、「福島県の妊婦死亡、20日に判決」という記事があった。一人で診察や手術をこなす被告の産婦人科医師は、手術ミスで業務上過失致死の刑事責任に問われたのだ。

私は単なる一般人なので、詳しい手術内容を割愛するが、この医師は当時29歳の妊婦に帝王切開手術を行った。医師は、最初にAという手術法を行ったが出血が激しく、Bという手術法に切り替えたが及ばず、女性は4時間半後になくなった。救いは赤ちゃんは無事に生まれたことだった。

これを福島県警は過失として、医師を逮捕し、逃亡の恐れもないのに拘留したという。で、裁判の争点のひとつに、検察側は医師ははじめからBという手術法を選択して執刀していれば、妊婦を死亡させることはなかったと刑事責任を追及している。もはや、裁判の行方はどうでもよい。ただ、この逮捕や裁判が、福島県産婦人科医療をパニックに陥れ、ひとりで切り盛りする産婦人科医師が激減したことだ。これは産婦人科に留まらす、リスクを伴う患者の緊急受け入れや手術に、大きな影響をもたらすであろう。いや、すでに起こっている。救急車のたらい回しなどは、その影響だろう。

医療機関はリスクを避け、万全の体制をとれる病院に産婦人科医を集めたという。その結果、産科のある病院が減少したのだ。赤ちゃんのお腹に宿し、ママとなる日を楽しみに待つ女性にとって、いつもの医療機関が突然消えて、何時間もかかる病院でしか検診が受けられないとしたら。ましてや、急に産気づいて、駆け込む先の病院が、遙か彼方だったら。少子化が叫ばれる今、心穏やかに出産できるのは、限られた地域でしかない。福島県だけでなく、そんな動きは全国に拡がっている。

先ほどのある友人というのは、開業医だ。医者として先ほどの事件に警察が摘発したことに、大いなる怒りを持っている。ただそのことで、産婦人科医として歩み出す医師が減少したことは事実だ。医師は現場において、常に最善の努力をしている。手術の現場では、1分1秒を争いながら切迫した事態に医師は対応しているのだ。裁判の検察が主張した指摘、手術ミスとは一概に片づけられないだろう。ましてや、同じ事態に遭遇したとしても、検察が主張した手術通りに執刀して成功する確立は100%でないはずだ。Bという手術法は、子宮の摘出。この患者は、二度と赤ちゃんを宿すことはできない。医師の努力が及ばず、不幸にも妊婦は帰らぬ人となった。出産は、常に命の危険を伴っている。しかし、どんな地域においても、人は安心して診療を受けられるべきなのだ。ただでさえも、少子化が問題となっているのに。明日の判決、どうなろうとも、医療の現場や、患者や赤ちゃんを宿す女性に不安を与える判決であってはならないと思う。