池が潤いを生んでいる。


私が住む奈良市の郊外は、池というか、ため池が多い。昔々は、農業が盛んで、しかし水がたまりにくく、小さな小川をせき止めて、いわばダムのようにして水を溜めて、農業用に放出したと聞く。

そんなわけで、池をせき止めている堤は道路となり、その反対側は小さな土手の断崖みたく、まるでダムにも見える。

その下流方面は、今も田んぼや畑が拡がるが、住宅がかなり進出してきた地域が多い。かつて小学校へ通った通学路は、結構田んぼがあったものだが、この前に通ってみたが、すべて住宅に変わっていた。40年以上も経っているんだものね、当たり前か。

もうほとんど農地なんか無いのだから、溜め池なんか埋めてしまえば、土地は確保できるし、公園も作れるのにと。しかし池のそばを歩いていると、池をよぎる風が心地良い。さざ波の中を鳥が泳ぎ、ところどころ水面が揺れている。その下では、鯉がいるのかもしれない。

アスファルトや住宅で埋め尽くすより、池を残した方が、涼を呼び、いいのかもしれない。梅雨の間、盛んに鳴いていた蛙はどこへ行ったのか。ちらほらトンボも舞いだした。池のある風景、やはりホッとする。子供の頃は、考えたこともなかったけど。小さな池、大きな池、ひとつひとつが自然の、命の宝庫なのだ。