25日、大分から東京の寝台列車。

中秋の弁当

約3カ月ぶりの東京行き。引っ越して半年も経たないのに、もう2度目とは。さて大分発東京行き寝台列車、富士。発車10分前に乗車すると、案の定だれのいない。これから発車まで何人乗車することか。

4時48分、富士は大分駅を発車した。私が乗車したB寝台の喫煙可能車両は、とうとう誰も乗ってこなかった。次の停車駅、別府を出ても、私の車両には人は現れない。まさに、私の、状態だ。

別府の山あいを太陽が見え隠れし、東へ大きくカーブすると、太陽が私の背になり、視野の先には西日を受ける家々が眩しく輝く。今日も暑い一日だ。6月の初旬に乗ったときは、田植えが始まったばかりの田んぼに、今は稲穂が重く垂れている。畦には真っ赤な彼岸花がちらほら見える。山に挟まれたのどかな田園地帯と言いたいが、耕作を放棄したと思われる土地もあり、雑草群が稲以上に生い茂っている。もったいないな、稲作も大変だろうけど。

でも、虚しい風景だ。小麦、大豆、トウモロコシなど、もう輸入食料は高騰して、私たちの生活にも各種食品の値上げが忍び寄っている、やがて食糧危機でも起こったらどうなるんだろう。そんな想いの中、田んぼの真ん中で、こちらにでっかいレンズを向ける人がいる。目当てはこの列車か。まさか、カメラをぶら下げた案山子なぞあろうはずもない。

平野部の宇佐に近づく頃に、案山子とおぼしきものがひとつ、あったような。こんな夕暮れ深く、一面田んぼの中で、人でもあるまい。そういえば、去年の秋の東京で、井の頭線で渋谷に向かう車中、駒場東大の手前に小さな田んぼが広がるが、この時期には、様々な衣装を身にまとった案山子がズラリ並んだものだった。なぜこの場所に田んぼがあるか知らないが、大いなる遊び心だ。大分のこの地では、もう遊び心にも余裕はないのだろうか。いっそキャラクター人形にして、野立て看板と合わせて、広告塔にすればいいのに。なんてね。

中津を過ぎ、まもなく行橋に着こうかというとき、雲間からポッカリと顔を出した。確か今日は中秋の名月。なぜか満月には見えぬ。なるほど、中秋は9月の25日であって、満月は27日だ。しかし、大分の暑さからは、すすき、おだんご、月見、がピンとこない。妻はひとりで3匹と、どんな思いでこの月を見ているのだろうか。私は、妻の弁当を食べながら、この月を見ている。穂紫蘇のてんぷらが入っている。気が利いている。うまい、もちろん、どれもこれも。