94歳で父が逝去しました。

3月24日の午後10時33分に、父は臨終を迎えました。今となっては、なぜそういう事態になって、私の思いもよらぬ結末となったのか。思い巡ることもありますが、それはまた後ほどに。この年、94歳ということは、戦争を経験した父です。今62歳の私が子どもの頃に、戦争というより、当時の戦地の話しを何度も聞かされたことを思い出します。その父の話にはいつも、飢えと病気、戦友たちの死、一方的に打ち込まれる銃撃や爆撃で、子供心にもかっこいい戦争とはかけ離れた現実があって、むしろ気持ちが悪いなあ、と思ったものでした。しかしそんな現実の中を、父は生き延びて、南方のハルマヘラ島で終戦を迎えたのです。なぜハルマヘラ島だったかというと、父は南方に向かう輸送船団に一兵卒として乗りこみ、本来の目的地はニューギニアだったのですが、それができずにやむなくハルマヘラ島に上陸したらしいのです。で、父たちが上陸してしばらくして、アメリカ軍がその近くに島に上陸して飛行場を建設し、そのハルマヘラ島を遙か上空から爆撃したそうです。アメリカ軍はハルマヘラ島には上陸することはなく、むしろ孤立させておいてフィリピンや沖縄に向かったとか。だから、父は地上戦にはならずに生き延びることができました。もしニューギニアに上陸していたら、玉砕だったそうです。父は、生きて帰れたのは儲けものと考え、日本に帰ってからは電気関係の仕事を猛烈にこなし、80歳まで働きました。仕事を辞めてからも、常に何かをしていないと落ち着かないらしく、日曜大工的な作業をしたものです。電気製品なども、分解しては組み立てたり、その結果、壊してしまったものも数多くあります。常に何かをしていないと落ち着かない父でしたが、6年前に母を亡くし。その分、却って父は元気を取り戻して、この分なら100歳は軽い軽いなんて思っていましたが、3月19日に肺炎で救急車を呼び、その1カ月に一度、通っていた病院で亡くなったのです。今となっては、感謝の言葉だけしか頭によぎりません。そして、様々な手続きや整理すべきことが残されました。それを、日々片付けている真っ最中。毎日、ふ〜う、です。