やっと、一段落。

木曜日の夜、9時過ぎくらいに突然、我が家の固定電話が鳴った。番号表示を見ると父宅からだ。とっさに思う。こんな夜中だから、何かあったに違いない。受話器を取り、「おとうさん、どうした?」と問いかけるも、しばらく声は聞こえてこない。無音だ、どうしたんだ。しばらくして、かすかにか細い声でひねり出すように「もうあかん、きてんか」と父は言った。「わかった、すぐ行く」と言って受話器を置き、直ちに妻とふたりで父宅に向かった。93歳の父に何が起こったのだろう。ありとあらゆる可能性を考えるが、最悪の結果が頭をよぎる。それ以上の思考は止めた。父宅に着くと、父はリビングの大きい椅子にぐったりと座っていた。父は「朝から何にも食べてへんねん」、といいながら時折、嘔吐を繰り返す。さらに「頭がふらふらするねん」と繰り返し、言う。時間は10時を過ぎている。頭のふらつき。とっさに脳の異常を思いつく。母も晩年は脳梗塞を発症したから。妻と「救急車、呼ぼうか」ということで119番に電話。父の様子を注意深く見ながら、はっとするとサイレンの音が聞こえてきた。妻が、部屋の外に出て、迎えに行く。その時、突然父が「ええから、ベッドに連れていってんか。もう、寝るねん」と言い出す。とりあえず、父のカラダを支えるようにして寝室に連れて行き、ベッドに座らせる。すると、父は「もうあかんから、呼んで」といった。父は姉と妹を呼ぶように言うが、姉はこんな時間には来られないし、妹だって東京にいるのだ。父は、亡き母が迎えに来たという弱気を見せる。すぐに玄関で気配がして、妻と救急隊員4名が部屋に入ってきた。とにかく父をなだめて、病院に行くように説得する。救急隊員たちは、運べる簡易の布製椅子に座らせて、隊員3人掛かりでエレベーターに父を運び込んだ。ストレッチャーはこのマンションのエレベーターには入らない。1階に降りるとストレッチャーが置いてあり、父はそれに乗せられて救急車に入り、私は付き添いで乗り込んだ。程なく走り出す。さすが救急車、ノンストップなのだが、ガタガタギシギシと乗り心地が悪い。これじゃ、隊員の処置がしにくいね。

やがて車は父が月に一度通っている病院に到着した。病院では、病床が満員であることを告げられ、とりあえずの応急処置に私たちは同意した。当直医に症状を告げると、ここでは脳神経は専門外なので、この症状なら他の病院で、と言われる。まずは応急処置の点滴を受ける。朝から何も食べていないから最低限の栄養補給だ。満員で入院はできないのだからしかたがないが、結局はこの衰弱した父をまたマンションに連れ帰らねばならない。2時間の点滴が終わるとほぼ深夜2時。妻と一緒に私たちの車でに父をマンションに連れ帰った。妻は家に帰り、私は父のマンションで泊まり込むことにした。それからマンションで、再び妻が来る朝の11時まで、父は2度トイレに立った。その都度、私は後ろからふらつき歩く父を支えて用足しの補助をして、またベッドまで連れ戻した。金曜日朝11時過ぎに妻がきた。さて、どうするか。とにかく、専門科のある病院に連れて行こう。病院に電話だ。父が搬送された先ほどの病院は専門外なので除外。父の心臓では頼りになったのに、脳ではダメなんだね。最近新しくなっり移転したN病院に電話する。年齢、症状などを聞かれたが、満床なので入院はできない。しかし、検査や応急処置ならできるという。とりあえず、他をあたることに。K病院は、診察時間を過ぎているので対応できない、ということだった。ま、しょうがない。T病院に電話する。ここは年齢も性別も聞かれず専門外と言うことで、にべもなく断られる。かつて脳梗塞だった母が入院していたのに、非情な病院め。そして、紀寺にある奈良市立病院に電話。午後1時30分から総合診療というのがあるので、その時間に合わせて来てくれたらいい、と言ってくれた。ふう〜、やっと病院が見つかった。


時刻に合わせて到着してみると奈良市立病院はまだ敷地内で工事個所があり、建物はピカピカだった。うわ〜、あったらし〜。こりゃ、期待ができるとちょっと安心した。診察を受けると、まずは頭のCT検査となった。医師は画像を見て、怪しい部分があるから、今度はMRIで見ようとということになった。MRIが終わって、次は点滴に。その点滴が終わると4時30分が過ぎていた。検査結果で脳は異常なし。つまり脳梗塞などの異状はない。診断として、春先の激しい気温の変化の影響で、耳の三半規管に異常が出て、それでふらつきやら嘔吐が出た、ということだった。要するにメニエールみたいなものかも。よくぞ見てくださった、奈良市立病院よ、ありがとう。この時期には、よくあるらしい。処方箋をもらって、父のマンションに帰る。私たちは弁当を買い、父にはおかゆを用意して、みんなで食事。そして、父は処方された薬を飲む。それから2時間ほどして、父はふらつきや頭痛が治まったという。やっと一段落。念のために、私はもう一晩、父のマンションに泊まり込んだ。ところで処方箋だが、医薬の分離で、薬は院外処方となっている。市立奈良病院で父の薬をもらいに行くときに、交通量の多い国道169号線を渡らなければならなかった。向かいの薬局まで横断歩道はあるが信号はない。横断歩道の前に立って待つも、一向に車が止まる気配はない。ドライバーは容赦がないね〜。中には携帯電話で話ながらハンドルを持っている人もいるし。呆れてふと後ろを振り返ると80歳前後のおばあちゃんがとぼとぼ歩いてきた。たぶん薬局に向かうのだろう。普通なら私も強引に渡るのだが、おばあちゃんのためにも車が止まるのを待った。ずいぶん待って、やっと手前側の写真の車が止まった。対向車線の車は、それに気づかないのか依然止まってくれない。十数台の車が通りすぎて、やっと一台の車が止まってくれた。手前側で、ずいぶん前から止まってくれていた車の運転手さん、悪かったねえ。両方の車に会釈をして私は横断歩道を渡った。おばあちゃんも付いてきた。ふうう、良かったあ。こんなおばあちゃんのために病院側が、処方箋を取りに行ってくれるサービスとか、ないのかねえ。医薬分離も、大病院だと敷地が広すぎて、薬局までの距離が遠すぎるよ。医療サービスはもっと高齢者に優しくならないものかねえ。そんなことも思った。そして、春の激しい気温変化にはご注意ください。