久しぶりに東大寺大仏殿。


先日のことだ。夜に奈良に出掛ける用事があった。久々に高校時代の友人たちと、一年ぶりの飲み会だった。ついでといっちゃなんだが、図書館にも行って、本の返却と貸し出しを済ましておこうと、早めに家を出た。残念ながら図書館は、祝日のために閉館中。これは迂闊だった。で、あまりにも時間が早いため、妻と高畑町の写真美術館やその周辺道路を走りながら、紅葉を探したのだが、どうも今年は色づきが悪い。遅いのか早いのか。それでいて落葉は進んでいるような。そんな中で、ふと思い立って、私は東大寺の前で下ろしてもらい、妻は走り去った。東大寺の南大門まで続く参道。ここまでは歩いたことがあるが、南大門から先は小学生の遠足以来かもしれない。つまり、50年ぶり。奈良に生まれ育ちながら、あまりにも遠ざかりすぎかなあ。奈良といえば、大仏と鹿で、そのイメージにとらわれすぎることに反発していたのかもしれない。奈良の寺は東大寺法隆寺ばかりではないし、鹿は春日大社において神の使いであり、国の天然記念物ではあるが、奈良のすべてではない。とってもかわいいけどね。鹿せんべいを買い与えたくなるのは当然だ。ところで、この参道で、老鹿が観光客の落としたパンフレットを拾い上げむしゃむしゃと食べていた。観光客の皆さまには、そういった紙類を落としたままにしたり、紙など決して鹿に食べさせないようにしてほしいです。鹿の病気の元となりますから。さすがに祝日、大仏殿は人がいっぱい。修学旅行と思われる学生たちも見かける。やはり、なんだかんだ言っても人気は一番。さて、大仏殿の中に入る。大仏さま、正しくは盧舎那仏、さらには銅像盧舎那仏坐像の名で国宝に指定されている、が鎮座しています。当たり前ですが大きい。座高は15メートル。とにかくでかい。今から1268年前に、こんなにでかいもの作ろうとした、その動機には並々ならぬ思いがあったはず。作ろうと大号令を発したのは天武天皇で、のべ260万人が作るために働いたという。その大仏の威光で鎮めようとした厄災は当時としては厄介なものだったのでしょう。当時は飢饉や疫病が大発生したらしい。今なら、無縁のものだが、地震津波は、今も避けようがない。今こそ地震津波に強い国づくりへ、と誰かが大号令をかけても良さそうだが、100年に一度だから必要ないと及び腰になるのは、己の営利ばかりを考えるからでしょうね。なので、この場所で私にできることは、これ以上、地震津波、災害などが起こらぬようにと大仏さまに祈ることしかない。祈り終わって見上げると、やはり大きい。これほどの迫力があれば、厄災などは寄りつきもしないと、1200年以上も前の人は本当に思ったでしょうね。そうか、私も、近年は神仏に無病息災を祈ることもなかったから、今年の入院なんてことが起こったも知れぬ。何事も普段からの心掛け。この冬も、節電、節電と。