猫の殿は、カニさんが好き。


先日、カニさんが送られてきました。これを一番楽しみにしているのは、猫の殿です。妻はせっせと、カニの身をほじくり出す。カニの甲羅を殿の前に放り出すと、ナメナメが始まります。ひとしきり、ナメ終わると、もっとくれい、妻の前にデーンと座る。お皿に、少し乗っけてやると、あっという間に食べ終わる。でも、食べ過ぎると、ゲーするからご用心。はい、もうここまで。テーブルの上から、追い出します。何でもっとくれないの。カーペットの上から、じーっと妻の方を見上げるとの。ダメ、もうお終い。やっと、あきらめたのか、どこかへ消えていった。

ついでに、エビさんも好きです。キッチンの台の上まで、びよ〜んとカラダを伸ばして、さらに前脚を伸ばして妻が置いた、エビさんにあたりをつける。それを、引っかけて落として、エビさんゲット。私たちも、びよ〜んと伸びた殿を見るのは、なんだか気持ちがいいんですよ。かわいいとか、そういうのじゃなくって、その一所懸命さを見て、なんか安らぐとでもいうんでしょうか。殿は必死なんだけどね。

最近は、朝に私の顔の横に来ることがなくなった。気がつけば、妻が起きた後の布団の上で寝ている。段々と、暖かくなってきたんですね。よく寝る、殿です。



30年ぶりに、訪れた居酒屋。

今日は、同い年の親戚の人、それこそ彼とは35年ぶりに飲んだ。その飲んだ場所を指定したが、そこは30年ぶりに訪れる、奈良市街の餅飯殿通りをちょっと外れた居酒屋だった。待ち合わせた時間に、彼は先に入って待っていてくれた。狭い、コの字型のカウンター席で、奥に座ってしまうと、客がトイレなどで出入りするたびにカラダを動かさねばならない。そういう居酒屋なので、彼はコの字の真ん中の席を確保してくれていた。

母親の葬儀の時、彼の商店の前を通りがかったときは、ほんの二言三言の会話を交わしたけれど、じっくり話すのは35年ぶり。だから、ほんとに和気あいあいと話せるのかな、とちょっと心配したが。お互いの親の話。彼の両親は、平成16年、平成18年で他界している。その頃、東京にいた私は、そんなことはまるで知らなかった。そんなことをしみじみしゃべりながら。

ふと、彼の中学校の同窓会の話になった。彼が通った中学校は、奈良市街からちょっとはずれた平野部にある。なので、結構、生徒数も多いマンモス中学校だった。私が通ったのは、そこからもっとはずれの、郊外の中学校。で、その彼の中学校から、私が進学した高校への話になった。彼の中学校から、平山、井上、ほかに誰それが、私が通った高校に行った。私は、おお、そいつを、知っている。バレー部で活躍した、テニス部で目立った、などと大いに話が盛り上がった。

さすがに、そうなんですね。地元だから、どこかでだれかがつながっている。小学校、中学校、高校などなど。奈良で一緒に育ったから、なんとなく、そういう共通意識ってものがあるんですね。やっぱり私は奈良の人、そういう感じが、久しぶりに蘇りました。で、その居酒屋さんも、東日本大震災以降、お客さんがパッとしないという。彼も、取引先系のあるお店では、震災以降は、売上げが4割ダウンしたという。皆さんが、普段通りに消費行動をしてくれたらいいのですが、これからはいろいろなところで、たとえば企業的にたち行かなくなって行くところもあるでしょうね。また彼とは、近々再会することを誓って。今度は妻も交えてね。いいお酒でした。その居酒屋も30年前と少しも変わっていなかった。居酒屋の名前は、蔵です。おでんがおいしいよ。

ところで、平城京跡を走る電車からの眺めはいいのですが、平城京跡から見ると電車も線路もジャマなんですね。この場所を、地下化すればいいのに。奈良へ行く車窓から、いつもそう思う。