もう半年が経ちました。

ほんとうに早いものです。梅雨が始まる前の、5月の今日、母が亡くなって。天候不順の梅雨が終わり、それなりに暑かった夏が過ぎ、秋がだんだんと深まって11月も後半です。父は相変わらず元気のないことを言う。はやく、おかあちゃんのいるところへ行きたい、と。ま、心筋梗塞で入院中の父としては、気弱になるのも当然でしょうね。

母は大正年代に、大阪の商家の娘として誕生した。最終的には、五男四女の末娘でした。でも、何人か上に兄弟か姉妹がいたらしい。生まれてまもなく亡くなった子供。さらには戦災で亡くなった兄がいたという。母は京橋の空襲のことをよく話したと思う。

私もその話を聞かされたのは子供の頃なので、期日などは定かでない。母が言うには、京橋、片町あたりが火に包まれて、京橋では大きな爆弾が落ちて大勢の人が亡くなったらしい。その一連の空襲時に、母の兄が焼夷弾で片足を失って、生き伸びることはできなかった。とにかく家族みんなが火の海だった片町、京橋を後にして、川沿いに鴫野あたりまで逃げ延びるのが精一杯だったという。

その空襲で母が大事にしていた源氏物語の54巻のうち、焼け残ったのは10数巻だった。その10数巻をいつまでも大事にしていたのだが、母の遺品を整理してもついぞ見つからなかった。ま、いいか。でも、母はよく出だしを口ずさんでいた。いずれのおんときにか、にょうごこういあまたさぶらいけるなか、いとやんごとなききはにはあらで・・・。あとは私も忘れた。母は好きだったんだなあ、源氏物語

そんな時代を生き抜いた母を含めた9人兄弟姉妹の絆は堅かったんだと思う。母は、兄や姉たちの付き合いを大事にしたから。10年くらい前だったろうか、母がポツリと言った。おかあちゃんが最後やねん。母を残して、存命中だった姉が亡くなった時だった。母が末っ子だから、そうなるのだろうけど。寂しそうな笑みを浮かべていた。その母も亡くなって、半年が過ぎた。今頃は、9人の兄弟姉妹で賑やかなことだろう。いや戦災で亡くなった兄もいるのだろうな。10人もっと以上かも。みんな戦争の悲惨さを体験した人々だったんだなあ。