息苦しい東京を離れて2年が過ぎた。

私が東京に行ったのは28年前、ちょうど28歳の時。それは仕事をするならやはり東京で、という思いだった。そして東京で働いた。東京には確かになんでもある。ないのは田舎らしい素朴さか。もっとも地方に行っても、その素朴さが失われている所はいっぱいあるが。

私が地方から出てきたように、人はどんどん東京に集まる。人が人を呼ぶわけだ。そして怒濤のように人が押し寄せ、東京は人で溢れかえっている。人だけではない。自動車だって道路に溢れている。6年くらい前に私は自動車を手放した。交通機関の便利な東京では、自動車は不要だと認識した。

私が東京での息苦しさを覚えたのは、10数年くらい前だろうか。東京は確かに公園が多い。様々な公共施設も充実している。しかしそのすべてがコンクリートアスファルトで固められている。どこもかしこも枠の中に閉じこめられたスペースでしかない。

ふと阿佐ヶ谷南にあった公団住宅を思い出す。1950年代に建ったと思われる建物は古びて、空き家も多い。建物が活気を失うのはさびしいことだ。建て替え計画があるらしいが、すんなりと運ぶのかな。荻窪にもそんな団地があった。通りがかったときの息苦しさが、懐かしい。

私は、東京から大分を経て、今は奈良にいる。東京にいたときの息苦しさはない。ニュースで70平米9000万円のマンションが紹介されていた。奈良だったら50坪の土地に新築一戸建てが3000万円もしないであるぞ。これだから東京は息苦しいのか。