妻の、たちまち、という言葉。

ろうばい

妻は、たちまち、という言葉をよく使う。たちまち用意するものは、とか。それはたちまち必要じゃないね、とか。希に、たちまちは、という風に言葉を使う。

これは妻の口癖なのか、岡山のその地方の、ある概念的な方言なのか、などと。私自身のたちまちの概念は、最初は小雨だったが、たちまち土砂降りの雨になった。つまり数分、ほんのちょっとの時間と捉えていたのだ。

辞書にも、たちまちは忽ちで、急に、すぐに、非常に短い時間に事が行われるさま、となっている。にわかで突然という意味の副詞だ。しかしある本を読んでいて、たちまちの語源は、立ち待ちからきていると。

満月を過ぎたら十六夜、その次が立待月。日が沈んで、満月ならすぐに登るが、ちょっと時間がかかり立って待っていると、上ってくるのが立待月。その次の日は、座って待っているとお目にかかれる、居待月。さらに次の日は、寝待月。

なるほど、しばらく立って待っていると、なのだ。また地方によって言葉の概念が変わることはよくある話で。そう考えると、すぐに急がなきゃというせっぱ詰まった概念が消えますね。そうです、急いては事をし損じる。妻の、たちまち、はそういうことだったんですね。数分とか、数日とかじゃなくて、たちまち。