父の深い落胆。


今日は5年前に亡くなった私の母の月命日で、父と一緒の墓参りの日だった。いつも通りに父のマンションに到着して、妻が父を住居まで迎えに行く。心なしかちょっと遅れて妻と一緒に現れた父の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。絞り出すように「陸、かわいそうに」。陸を病院に連れて行った日曜日の午後に、恒例行事で父のマンションを訪問するのだが、その日だけは私ひとりでいった。陸は入院したばかりだが、状態を不安に思った妻は父の前で泣きだすのを恐れて行こうとはしなかった。そして、私は父に陸が入院したことを告げ、高齢なので持たないかもしれないと、最悪の事態を暗示しておいたのだ。迎えに来た妻に「陸、どうや?」と父は聞き、妻は「あかんかった」と答えた。寺に向かうまでは、父は「かわいそうに」と、ただただ涙にくれていた。妻は懸命に「陸は高齢やった。93歳のお父さん以上に相当する長生きやった」と父をなだめながら、妻も運転する私ももらい泣きをする。墓参りの間も、その後の食事中も、父は何か納得のいかない様子だった。マンションに送り届ける途中に父はポツリと言った。「もういっぺん、陸に会いたかったなあ」。毎年の正月には父が我が家を訪れ、陸のフラッシングをするのが父の仕事だった。そのフラッシングを陸は嫌がったのだが、父からは嫌がる陸の顔は見えない。私たちは顔で救援を求める陸をなだめてあやしながら、心の中では「陸、ちょっとだけガマンしてね」とカラダをさすり耐えさせていたものだった。でも今年の正月は父が体調を壊して、我が家を訪れることはできなかった。それが、父の後悔だったのだろう。私も陸を父に会わせてやっておきたかったが、もう遅い。食事の間、父はこうも言った。「もう犬、飼いなや」。妻は「もう飼わへんわ」と答えた。そう、陸で最後。妻はずっと前からそう決めていた。他に一緒に暮らす家族のない私たちの年齢を考えたらそういう結論になる。父は、かわいそうやから飼わへんねん。という。動物は必ず見送ることになるから。その悲しみが父は嫌いだった。今回はかなり父を心配させてしまった。あとは父の気持ちの回復を祈るばかりなんだけど。